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 0524





「あんまりここにはいなかったと思っていたんだけど、こうしてみると結構あるね」
 マジック一家の居住区に引っ越す荷物を作りながらグンマは言った。
「そうだな」
 引越しを手伝ってくれているのは、グンマと入れ替わりにここで暮らすことになっているキンタロー。
 ここは本来はルーザーが結婚したときに作った彼の家族の為の住まいだった。
 だが、ルーザーがここで妻と過ごしたのは一年にも満たない短い間で、その妻のも亡くなり、残された唯一の『家族』は高松のところに居ついてしまった。

 グンマが成人したときに正式に譲られはしたが…結局彼は高松やラボの周囲でばかり過ごしていて、彼の子供のころからの発明品や使わなくなったものが高松のところからもってこられて留守番をしているだけの家となっていた。
 
 今日の引越しの主役はまさにそれらだった。

 高松曰くの『グンマ様の歩み』こと、彼が発明したものは一応整理されてはいるがその数はかなりのもので、荷造りするグンマが『あ、これは○才の時に作ったやつー』と懐かしがっては手を止めるため、はかどらず、
「グンマ、それは向こうで荷解きするときにしてくれないか?」
「あ、ごめーん、キンちゃん」
 というやり取りを何度か繰り返し、ようやく荷造りが終わった。
 
「ふぅ〜これで終わりかな」
「そうみたいだな」
 積み重ねられたダンボールの山を前に、二人は汗をぬぐった。
「ねぇ、キンちゃん。上に持っていく前にさ、一休みしない?」
 『キンちゃん』という呼び方ももうすんなりと口から出て行く。
 最初の時こそ『ボクのイトコはシンちゃんだけだ』と言い張っていたが、あの島から帰ってからは、キンタローがいない生活というものが想像つかないくらいに、この新しいイトコは大切な存在になっていた。
「そうだな。冷蔵庫に何かあったか?」
「ジュースがあるけど、それでいい?」
 グンマの提案にキンタローが同意しようとした時だった。
 玄関のロックが解かれる音がし、聞きなれた足音がこちらに向ってきた。
「おーい、まだ終わってねぇのか?」
 そういいながら入ってきたのはシンタロー。
「荷造りは終わったよ。今からちょっと一休みしようって言ってたところ」
 と、グンマが説明をする。
「そう…ってなんだよ、このダンボールの山はっ!」
 シンタローは片隅に積まれている山を見て叫んだ。
「おめー一人でなんでこんなに荷物があんだ?」
「それはボクが今までに発明したものとか、高松のところに入りきらなかったから置いてた分なんだって」
「おめーうちにゴミとガラクタを持ち込むつもりかっ!」
「ゴミやガラクタじゃないよ〜。ボクが発明したモノだって!」
「それをゴミといわずしてだな……大体うちにそんなの置くスペースないって!」
「叔父さま二人が自分たちの部屋使っていいって開けてくれたのにないわけないじゃん」
「いくら叔父さんたちでもゴミを置くためにそう言ってくれたんじゃないんだぞ」
「だからゴミじゃない〜って〜」
「いい加減にしてくれ」

 いつまでも平行線の上を走る会話にピリオドを打ったのは、二人の間に割って入ったキンタローだった。

「とりあえず休憩にしよう。オレもグンマもシンタローも引越しの仕度で忙しく疲れている、だから一緒に休憩でいいだろ?」
「ああ…」
「キンちゃんがそういうなら…」
 不毛なケンカをしていた二人はおとなしくキッチンへ入っていった。

 …が、キッチンのあちこちにあるお菓子やジュース類を見たシンタローから驚きと不機嫌オーラが立ち上り始めた。

「オイ…この菓子もまさか持っていくつもりじゃないだろな?」
 大量のチョコやキャンディー、マシュマロ、クッキー。ここは本当に一人暮らしの家なのか?と思うくらいに山と積まれた一角からそのうちの一箱を取り出しながら、グンマが答えた。
「そうだよ〜、キンちゃん、いるものがあるなら置いておくけど?」
 キンタローはどうしたらいいかという顔をし、言い合いをするよりも脱力が先にきたシンタローは力なくキッチンの椅子に腰掛ける。
 そして、冷蔵庫の中からアップルジュースを取り出し氷を入れたグラスに注いでいるキンタローの方を向いて言った。
「キンタロー、おまえ、いっそのことうちにきたらどうだ?グンマが引越ししてくるよりもずーっと楽だぞ」
「シンちゃんひどっ」
 グンマの抗議に、シンタローはちょっと意地の悪い顔をして、ニヤニヤと笑いながらグンマに向き直る。
「身一つのキンタローがうちに来るほうがずーっと早いって。うちにゴミも溢れないし…言うことなしだぜ」
「そんなことは言わないでくれるか」
 人数分のグラスを持って横に立ったキンタローの思いがけないきつい口調に、二人はハッとして彼を見た。
 シンタローの目の前に手荒に置かれたグラスからアップルジュースが零れ、テーブルクロスに染みを作る。
「ど、どうしたの、キンちゃん…」
 いつになく険しい顔のキンタローに、おそるおそるグンマが尋ねた。
「グンマにここにいろというのなら、オレは出て行く」
 テーブルに置かれ、握り締められたキンタローの手は堅く握り締められている。
「お、落ち着けよ。キンタロー」
 なんとか落ち着かせなければ、と、「キレた」状態のキンタローのことを痛いほど知っているシンタローは、キンタローの手をとって座らせようとした。
 キンタロー口がわななく。

「グ…グンマが引っ越してくるのをマジック伯父貴も楽しみにしてるんだ。
 グンマが家族みんなと住めるって喜んでいた。それをジャマするくらいならオレはどこにもいかないし、ここにもいない」
 自分の中で渦巻く感情をそのままこの二人に出すわけではない、ということは理解できていた。爆発的な感情にしないように、だが、言うべきことは言わなければという内側の葛藤を…残念ながら今の彼には、顔に出さずに済ませることはできなかった。
 突然のキンタローの発言に、二人は慌てた。
「…ちょっと…キンちゃん待ってよ!シンちゃんそう意味で言ったんじゃないんだって」
 というグンマに続いて、突然のことに動きを止めていたシンタローも釈明を始める。
「落ち着けよ、キンタロー。あれは冗談だって!」
「冗談?」
 一気に気抜けした聞き返しに、シンタローとグンマは何度も頷いた。
「あれは冗談だったのか?オレはてっきり…シンタローがあの荷物見てあんまりにも怒っているから…」
 そんなにオレ怒っていたか?とシンタローは思わずグンマに訊いた。
 グンマも苦笑して、ボクはシンちゃんは本気で言っていると思ってなかったよ、と言った。
「そりゃ、グンマの為に部屋を空けるのに朝から掃除してやっと片付いたってときにあんなの見せられてちとムッときたけどさ…グンマに来て欲しくないなんてこれっぽっちも思ってねぇよ…」
 二人が本気でなかったとわかって安心したキンタローは、ようやく残りのグラスをテーブルに置き、椅子にかけた。
「だからね。安心してよ」
 グンマは箱から出したクッキーを載せた皿を三人の中間の位置に置いた。

 チョコチップのたっぷりと入ったクッキーはいかにもグンマの好みだったが、意外にも甘さは上品で、次々に三人の手が伸びていく中、シンタローは言う。
「だけどおまえ本当に大丈夫なのか?暫くは上でオヤジやグンマと暮らして、自分一人でできるって自信がついたらここで暮らしたらいいじゃないか」
 一気に何もかもすすめるのはこの場合どうだろう、という懸念はシンタローだけでなくマジックも言っていた。
 父との対立そして死を乗り越え、精神的に安定してきたとはいえ、このまま一人にしてもいいものだろうかという不安はある。

 キンタローは暫くグラスの中の残り少なくなったジュースと氷をかき混ぜていたが、顔を上げるとはっきりとした口調で言った。
  
「おまえたちの気持ちは嬉しいが…ここはオレがおまえでなくなる最初の場所だとおもってるんだ」
 シンタローは首をかしげる。
「…何言ってんのかわかんねぇ」
「何て言ったらいいんだろうか…おまえはここで暮らしたことはないだろう?それを始めにするってことは……」
「つまりキンちゃんが一人でする初めてのことって…言いたいんだよね」
 ああ…そういうことか。
 おまえがしたことないからするんだ、というと子供の主張とは違う。
 シンタローはシンタローであって、キンタローはキンタローだ、というのは易い。
 
 いないものとされていたいたキンタローが、空白の部分を埋めて行きたいとあせる気持ちと「キンタロー」としての部分を確認したい気持ちは、何者でもなかったと突きつけられたシンタローには痛い程に分かるので、こう言うしかなかった。
「まぁ…おまえがそういうなら止めねぇけど…」
「大丈夫だよね、キンちゃん。それに困ったときにはすぐに来れるし」
 考えてみれば直通のエレベーターで数秒の距離だった。
 それが独立というのは笑止かもしれないが、キンタローにとっては大きな一歩であり、全ての始まりなのだろう。
 
 そうか、こういうのを『スープの冷めない距離』っていうのか、とシンタローが納得すると、グンマも『そうそう』という。
 ささやかな、だけど大きな一歩をとめる気持ちはもう誰にもなかった。


「じゃあ、そろそろ荷物を上に持っていこうぜ」
 ジュースもクッキーもなくなったところでシンタローが腰を上げると、グンマが、
「あ、忘れてた!」
 と言って慌てて席を立った。
「オイ、荷造り終わったって言ってたの誰だよ」
「違うの。キンちゃん、本の入ったダンボールはどのあたりにあったっけー?」
「てめぇの恨み言日記ならダストシュートに放り込んどけって言ったろうが」
「本の類は…確か…」
 シンタローの言うことはムシしてキンタローとグンマはダンボールの山を次々と床に下ろしては中を開き始め、シンタローはがっくりと肩を落とした。
 幸い、目的のものはすぐに見つかり、グンマが「あったあった」と言って箱から青い表紙の分厚いアルバムを取り出した。
 表紙に『グンマ様の歩み』と書かれているのを見ると、高松が作ったのだろう。

「アルバムなんかどうすんだ?」
 と、覗き込んだ二人に、グンマは一番最初のページを開いて示す。

 一枚の台紙に一枚だけの写真。
 明らかに普通の印画紙とは違うそれに写っているのは、真っ黒な中、一部だけ扇のように切り取られ、白いものが微かに写っているそれは…。
「これはね、お母さんのおなかの中にいるキンちゃんなんだよ」
 へえー!と驚きの声がシンタローから上がり、キンタローも目を見張る。
「この写真っていうか…正確に言うとエコーで撮った子宮内の断層写真なんだけど…。
 これはルーザー叔父様が戦場に行くときに持って行ってたものなんだって」
「父さんが?」
 グンマは頷く。
「ルーザー叔父様のいた激戦区でね、奇跡的に無傷で発見されて…お父様のところに届けられたんだって。それを高松がアルバムに張って残してくれていたんだ」
 この小さな紙切れが残っていた、ということに、二人はそういうこともあるんだ、と驚きを隠せず、互いをみやった。特に戦場の現実を知っているだけにシンタローはどうも納得できなかったのだが、残された病院施設にたまたま置かれていたのが回収されたのだと聞くと納得した。 


「…高松が教えてくれたんだけど、ここのこの影が…キンちゃんだって」
 胎児の形さえもろくにとっていない微かな影を指してグンマは言った。
「これが…オレか」
 キンタローはグンマの指す部分を何度も指先でなぞる。
 父が、まだ見もせぬ自分の『写真』を持っていたという事実が彼の声を詰まらせてしまい、なかなか言葉にならず…暫くして、ようやく顔を上げるとグンマに声をかけた。
 
「グンマ…これ…」
「うん。分かってるよ」
 グンマは、そのつもりだった、といい、それを台紙から剥がし始め、時間をかけて丁寧に台紙から外した。
「キンちゃんのアルバムの1ページ目に貼ってね」
 そして綺麗に外された写真をキンタローに手渡す。
「あ…ああ」
「キンちゃんは、今からいーっぱいいーっぱい思い出を作って、沢山写真もとるんだから。
 アルバム作らなかったら承知しないよ?」
「分かったよ、グンマ」
 キンタローは写真をまるで壊れ物のようにそっと受け取ると、居間のサイドボードに持って行く。
 そこには若い男女二人が並んで写っているフォトスタンドが据えられており、キンタローはその前にグンマから受け取った写真をひとまずおいた。
「ルーザー叔父様に、やっと返すことができたね」
「ああ…」
 シンタローも神妙に相槌を打つが、彼は自分がここにきた本来の目的を思い出し、パンパンと手を打って二人を自分の方に向けさせた。
 
「早いところ済ませちまおう。オヤジが待ちくたびれてるから」
「伯父貴が?」
「引越し祝いっていうか手伝いの礼っていうか…とにかくおまえもメシに招待したいらしいぜ。
 本当いうと、オレ、おまえらがあんまり来ないもんだから、呼びにこらされたんだよな」
「あーゴメンね、シンちゃん。すっかりと遅くなっちゃって」
 キンタローとグンマは慌てて開いた箱の中に物を詰め直し始めた。
「分かってんだったら、さっさと運んだ運んだ」
 シンタローは荷物を軽々と抱えると、スタスタと出口に向う。
 その後に、同じようにダンボールを抱えた二つの影が続き、彼らを待つ者がいる所へと向っていった。









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