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Only wanna tell you that


 厳重なロックを施された玄関の扉を開くのは毎度のことながら面倒くさい。
 そもそも家のあるガンマ団本部にたどり着くまでも一苦労だ…特にこっそりと抜け出して遊んで夜更けに帰った日には。

 電話一本で迎えに来てもらうのはたやすい。だが、それを拒んで、尚かつ車やバイクといった手段を持っていないとなると、最寄の交通機関から本部まで延々数キロの道のりを歩くことになる。
 そうしてたどり着いたガンマ団本部の敷地をくぐる前にIDプレートを体のはっきりと分かるところに示しておかないと、射殺されても文句は言えない。
 総帥のヤンチャな弟を機械に識別させるのはその手段しかないので、ハーレムはポケットから取り出したIDプレートを手にとって掲げた。
 低い機械音とセンサーの瞬きの後、
「確認しました。どうぞお入りください」
 人工の音声が抑揚のない声で許可してくれる。
 
 それでたどり着いた一族専用のゲート、一族の居住区直通エレベーターの前には常に二人以上の護衛がいる。

 彼らは、ハーレムが真夜中に未成年にはあるまじきアルコールの匂いを身にまとったまま帰ってこようと明らかにケンカの痕を残してこようとも何の詮索もせず、言いふらすこともなかった。
 礼儀正しく一礼するだけ。
 職務に忠実な彼らの前で罰の悪さを感じているのはハーレムだけだった。


 この要塞の中で『守られている』という幻想はとうの昔に消えた。
 目の前で父が赤い総帥服をさらに朱に染めて倒れた時に……。
 それからもう何年も経つが、この厳重なゲートをくぐるたびに自分は未だにここで守られている子供に過ぎないと思い知らされる。

 
 

「おかえり、ハーレム」
 こっそり玄関を開けたつもりだったが、やはり気づかれていた。
 最近は研究室に泊り込むことが多いのに、さすがに今日ばかりは帰ってきたらしい。
 自分も『今日位はどこにも寄らずに帰りなさい』とマジックに言われていたことを棚に上げて、ハーレムはルーザーには見えないところで唇の端を歪めた。

「随分と遅かったね」
 自分の姿を見るなり動きを止めた弟にそういうと、ルーザーは手近にあったスイッチを操作し、二人のいる空間は再び外の世界から隔たれる。
「…ただいま」
「兄さんはまた呼び出しがあって出かけたよ」
「ふーん…」
 下の方があわただしかったのと、長兄が出てこないのはそのせいか、とハーレムは納得した。
「ご飯は食べたの?」
「…いらね」
 突き放すように一歩前に進み出ると大股で自分の部屋へと急ぎ、鍵を開けて入るハーレムの背中に、ルーザーの声がかかった。
「今日のハーレムの分は冷蔵庫にあるから、夜食にでもどうぞ。おやすみ」
 ルーザーの部屋の扉が閉まる音がやけに甲高く響いた。

 

 今日のハーレムの分…。
 それに引かれたわけではない。
 酒は飲んだが、食べ物を施してもらえなかった哀れな胃袋があまりにも泣くので、ハーレムはこっそりとキッチンへ向った。

 開いた冷蔵庫の中では、『今日のハーレムの分』が冷たくなってはいるものの最初に出された時のみずみずしさや旨みを損なわないで一つの大皿に載っていた。
 それを取り出してテーブルに運んでいく。

 ダイニングのテーブルの上には、色とりどりの花が挿された花瓶が載ったままだった。真新しいテーブルクロスは今まで見たことのないもので…今日のためにしつらえられたのだとハーレムは理解した。
 大皿の上には、ルーザーだけではなく作った者の弟たちの好物もあった。いつもそうだ。誰かの祝いの時に、兄は一人一人の好きなものを必ず一つは入れてくれていた。
 そして律儀に一人ずつ平等に当たるように切り分けられたケーキに残っているロウソクの刺さった痕と…途中で切り取られた「HAPPY…」の文字。


 ハーレムは手にしたフォークで次々に皿の上のものを突き刺し始めた。
 何度も何度もフォークで突く度に耳障りな音がするのがやたらと神経に障り、ハーレムはさらに崩していき、皿の上のものが全部原型をなくしてしまったところで、彼はおもむろに口に詰め込み始めた。
 が、突然響いたキッチンのドアの開く音に、ろくに咀嚼していないものを慌てて嚥下する。

「暖めて食べればいいのに…」
 現れたルーザーは苦笑しながらハーレムの横を通り過ぎ、弟の座っているところとはテーブルを挟んだ向こう側のカウンターでコーヒーメーカーを取り出しセッティングを始めたが、ふと思い立ったのか、ハーレムの方を振り返ると、
「ハーレムも飲むかい?」
 と尋ねたが、やっとまともに顔をあわせた弟を見るなりルーザーは小首をかしげた。
「どうしたんだい、ハーレム。塩の塊でもはいってたの?」
 ハーレムは慌てた。
 自分が今どういう顔をしているのか自覚している彼は慌てて眼の淵を擦り、口元をぬぐう。
 そのハーレムにルーザーは冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、
「ほら」
 と言って差し出した。
「いいのかよ」
 意外な兄の行動に戸惑いを隠さず、少し投げやりに言うと、兄は…
「今更ビールの1本くらい加わっても変わらないだろ?」
 とあっさりと答えた。
 帰ってくるまでに大分抜けたとはいえ…確かにそうだ。
 今の有様をマジックに見つかっていたら、どれだけ説教されていたやら。
 それを分かっていて酒に飲まれて返ってきた自分に情けなさが募り、ハーレムはまた目の前にいる兄から眼をそらした。
 ルーザーは中断していた自分のコーヒーに戻り、続きの作業をしながら言った。
「兄さんには黙っておくから」
「………なんでだよ。チクればいいじゃん…」
 ルーザーは出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、ハーレムの向かいの椅子に腰掛けると、事も無げに自分の誕生日をすっぽかした弟に言った。
「ハーレムが今日中に戻ってきてくれたから」
 そして、目の前のハーレムに『ほらね』と腕時計を示す。
 時計の針は12時3分前を指していた。
「それで十分だよ」
 怒りあきれ返ってもおかしくないというのに、ルーザーは穏やかな微笑みを浮かべてコーヒーを啜る。


 時計から眼をそらしたハーレムはテーブルクロスを握り締めた。


 オレは大馬鹿ヤローだ。
 
 急にこみ上げてきた申し訳なさと自分自身への罵倒に、さっき無理やりにせき止めたものがテーブルクロスの上に落ちていく。

 逃げ出したくせに、結局逃げられなかった。
 どんなに忘れようとしても、逃れようとしても頭から離れないそれのために、戻りたかったのだ。

 たった一つの偽らざる気持ちのために。

 コーヒーを飲み干したルーザーが、飲んでもらえそうにない弟の分を自分の二杯目にするために腰を上げたときだった。

「……ごめん」
 ハーレムの口から、さっきから声にしたくてたまらなかったことがやっと出てきた。
 だが、あげた腰を一度下ろしたルーザーは首を振る。
「そうじゃないだろ?」
 何が違っているのだろう、とハーレムは瞬きをしたが、すぐに自分が忘れていた一番大切なことを思い出し、少し気恥ずかしそうに小声で言った。

「誕生日おめでとう…ルーザー兄貴」
 それと同時に居間の柱時計が日付が変わったことを告げ始める。
 ルーザーは「ギリギリだったね」と言い微笑んだ。








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