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Happy Birthday dear...


 雪も降らず、風もなく、穏やかな夜だった。
 マジックの滞在している冬の別荘は簡素なものだった。
 別に大きい別荘も一つ持っているのだが、あの島から戻ってから大がかりなパーティの開ける広さを誇る別荘に魅力を感じなくなってしまった。
 圧倒的な自然の中に聳え立つきらびやかな別荘は、本物の自然の大きさを見てしまった後にはひどく矮小なものにしか見えず、それにガンマ団総帥の地位を退いてからは、各国の重鎮や企業の役員を招く必要もなくなったからだった。


 互いの体温が分かるくらいの広さの別荘が欲しい。
 物々しい警備も要らない、ただ自分の愛する者達と静かに過ごせる場所が欲しかった。
 

 そうして買い求めたコッテージに、皮肉なことに一人でいる。


 ロッキングチェアの上でゆったりと本を読み、机に向かって書き物をする日々が来るとは思っても見なかった。 
 自分の他にいるものといえば、退団した古くからの部下の一人から譲り受けた年老いたシェパードが暖炉と自分の中間の位置で眠っているだけ。
 思えば物心ついた時から弟たちの世話に明け暮れ、父の跡をついでからは物々しい警護と多くの部下たちに取り囲まれ、敵に取り囲まれていた。
 その自分がこんな時間を持つようになるとは…。
 一人になりたい、と願っても許されなかったころからすると夢のような時間だが…。
 
「だけど…やっぱり寂しいもんだねぇ」
 独り言に足元の犬が顔を上げる。
 犬は寂しげに笑うマジックに足に鼻先をこすりつけた。
「昔からこんな別荘が欲しかったんだよ。雪の夜には暖炉の周りに子供たちがいて…それを眺めながら本を読んで聞かせて、雪がやんだらスキーや雪遊びをするんだ。ここいらは雪の質もよくてね。スキーにはもってこいなんだ」
 息子だけでなく、弟たちともこんな時間を持ってみたかった…。
 だが、そういう時間を作ってやりたいたと思っていた相手は、今ではもうそんな年齢ではない。


「うまくいかないものだね」
 頭を撫でながら犬にそう言ったが、犬は鼻を鳴らす代わりに窓の方に鼻先を向けた。そして、低い唸り声を上げ始めた。
 

 長年の経験と犬の本能からして、窓を鳴らした音が風ではないことをマジックは察し、ロッキングチェアから立ち上がった。
 そして、冷気をさえぎる為の分厚いカーテンの向こうで響くかすかな音の正体を確かめようとカーテンをあけ…
「ハーレム!」
 マジックは窓の外に立つ相手を見て驚きの声を上げた。





 ハーレムは防寒服を着てはいたが、頭の上から雪を被って真っ白になっていた。

 窓を開けるとキンキンに冷えた外気が一気に流れ込んでくる。
「早く入りなさい。寒かっただろう」
 中に入るとハーレムの上についている雪はあっという間に消えた。
 犬は突然やってきた来訪者に、引き続き唸り声を上げて警戒していたが、飼い主が『大丈夫だよ、私の弟だ』というとおとなしく暖炉のそばに戻っていった。

 同じく暖を取りに火に近寄ったハーレムは、忠実な犬に敬意を表するように反対側の端に立ち、そこの前でコートを脱ぎ、乾かし始めた。
「なかなかいいところだな。うちにこんな別荘あったとは知らなかったぜ」
 リネン室から持参したタオルを手渡すマジックにハーレムは尋ねた。
「最近買ったんだ」
「あんまりにもセキュリティがゆるいからよ。
兄貴自身がセキュリティだとかいって、いきなり眼魔砲を食らわせられやしねぇかってヒヤヒヤしてたぜ」
「まさか。それに、もう私はそこまでして守られなきゃいけない身じゃないよ」
「よく言うぜ」
 マジックは外の空気が入り込んだことで下がった室温を上げるために、追加の薪を取りに行こうと室外へ出ようとしたときだった。
「兄貴」
 呼ばれて振り向いたマジックの視界に飛び込んできたのは、暖炉に照らされた弟の濃い金髪。
 
 
 右の頬に触れた弟の唇は冷たかった。
 だが、長いこと触れていたそれが左に移ったときにはは互いの体温で温もっていて…。



 ゆっくりと離れた唇が、耳元でささやいた


 Happybirthday…

 驚きで目を見張ったマジックがハーレムの顔を見ようとすると、ハーレムはわざとそっぽを向いて…そして残りを続けた。


 my dear...Magic

 
 
  
 サイドボードの上の置時計が12時を差し、オルゴールが軽やかな音楽を奏ではじめる。

 それがひとしきり鳴り終わってから、マジックはようやく弟の腕から開放された。

「ありがとう…覚えていてくれたんだね」
「オレにはもうこれくらいしかしてやれることはなくてよ…」
「いいんだよ。ハーレムの元気な顔を見れただけで十分だ」
「……ん」
 ハーレムは皮肉っぽく笑ったつもりだったらしいが、照れくささと柄にもないことをしたという恥ずかしさが混じり、暖炉の火に照らされているからだけではない赤みが頬にさしていた。
 だがそれはすぐに消え失せ、どこか遠くを見るような眼差しに戻っていった。

「もう乾いたかな」
 ハーレムは暖炉の前におきっぱなしになっていたコートを手にとった。

「どこにいくんだい?」
「…オレがここにいちゃまずいだろ?」
「弟が兄のところにいて悪いことがあるかい?」
 片方だけ袖を通していたコートのすそが細かく揺れた。



 
 その夜、二人は一つの部屋にもう一つベッドを持ち込んで眠った。
 子供の頃、寒いとかなんとかいってマジックのベッドにもぐりこんできていたハーレムだが、さすかにこの年になるとそういうわけにはいかなかった。

 二つのベッドが入るとキツキツの部屋。ベッドの幅だけ距離はあるが、だが不思議とそれは感じられなかった。
 窓の雪明りが見たいとか、やはり寒いとか…他愛のないことから子供のころの思い出まで、色々とベッドのむこうとこっちでささやく様に言い合っているうちに…いつしか会話が途切れ、マジックも心地よい眠りに落ちていった。



 翌朝、隣のベッドにハーレムの姿はなかった。

 あれから寝ている間に雪が降ったのだろうか…。
 獣の足跡さえないまさらな雪の上に一つの足跡が遠くまで続いていた。
 それがやってきたときの窓から続いているのがなにやら微笑ましかった。
 が、それと同時に、正面からこれなかった弟の心境が不憫でもあり、いじらしくもあった。

 
 
「中に入ろうか」
 律儀に付き従ってきた犬にそういうと、犬は一声吼え、マジックに続いてコッテージの中に入っていく。

 誰もいなくなった雪原に、こっそりとやってきた来訪者のために、雪が次々と舞い降り始めた。

 

The End






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