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『…クリスマスに帰れたら……家族全員で過ごしたいな。
じゃあ親父も体には気をつけて』
 何度も繰り返しきいた息子から誕生日に貰ったお祝いメッセージを切ると、マジックは重厚な椅子の背もたれに体を預けた。
 クリスマスに帰れたら……と言っていたシンタローは、部隊の撤収が予定よりも時間を取ったので、クリスマスは南米で過ごすことになるとここに戻る前に連絡があった。
 だが、本部に帰還する時間が合ったとしても、あれはここには戻ってこなかっただろうとマジックは確信していた。
 
 シンタローもクリスマスだニューイヤーだと言ってられるほどヒマではない。
 寂しさは拭いきれないがこの世界で生きていくことを選んだのだから…と言い聞かせることはきる。だが…送られてきたメッセージの中で、少しのためらいの後に出てくる『家族全員で…』という言葉。そして、いっしょに届いた大きな包み。
 色々なおもちゃが山のよう入ったそれは、一旦あけられた後、こっそりとどこかへ運ばれていった。

 家族が全員でなくなった日のシンタローの顔は今でもはっきりと覚えている。
 振り上げた拳が叩いた頬の感触。拳の痛み。
 憎しみと悲しみと不信に満たされた眼差しで見上げる姿も。
 
『総帥、ティラミスです』  
 秘書の入室許可を求める声に、マジックは感傷というには苦々しすぎる思いから現実に引き戻された。
「入れ」
 部屋のロックがとかれ、第一秘書のティラミスがプライベートスペースに入ってきた。
 ティラミスはマジックの前に立ち、報告をはじめた。
 いくつかの重要案件の後、ティラミスの報告はプライベートなスケジュールに関することに入った。
「24日の予定ですが……」
「いつものようにしてくれ…できたら午前中がいい」
「わかりました。ではそのように取り計らいます」
「もう下がっていいぞ。私は休むから」
  
 いつものように…。やることはいつもと変わらない。
 クリスマスイヴには、亡き妻と両親、弟夫婦のためにミサを捧げ、墓参りをする。
 幸いなことにこの三年間欠かさずにできたことだった。
 今年も、おそらくはできるだろう。
 戦況も落ち着いている。

 午前中に行くとなると朝は早めに起きなければならない。
 ティラミスはその点もちゃんと計算してことを運んでくれるだろう。
 喪服、花……神父への託と謝礼と………。
「違っ…それ以上のものはない!」
 ここには自分以外は誰もいない。なのに誰かが耳元でささやいた。
『いいや、違っていない一つ足りないものがあるだろう』
「足りない…もの」
 はっきりと頭の中に響いた言葉を復唱する。
『おまえにはわかっているはずだ』
 もう忘れたと言うのか、たった数ヶ月前のことを。
 自分が封じ込めた小さな存在のことを。
『忘れたとは言わせない』
「忘れてなんかいないっ」
 耳をふさいでもはっきりと聞こえる声に抗うようにマジックは頭を振りつづけたが、拒みつづけるマジックの前で、声だと思っていたものが次第に目の前の虚空に形を作っていく。
 目を閉じたはずなのに、網膜に直接焼き付けられていき、姿も顔もわからない黒い影となった。
 それが一つ二つと増え、いつの間にかマジックの周りを取り囲んでいた。
「…誰なのだおまえたちは」
 名乗り出たのは幼児特有の甲高い声。
『忘すれさせるもんか…』
 黒い影の中から突然出現した小さな白い手がマジックののど元を捉えた。
 首に回しきれる大きさもないそれがすさまじい力で押さえつけていく。
『…忘れ…さ……せ……』
 助けを求めようとしても声はでなかった。
 なんとか外そうと必死に手を伸ばしたとき……そこには何もないということに気づいた。
 小さな手だと思っていたものは自分の左手だった。
 取り囲んでいると思っていた影は何もなく、自分はさっきまでティラミスと話をしていた肘掛け椅子の上にいた。
 
 マジックは手元の内線を取り、秘書を呼び出した。
「…聞くが誰かここにきたか?」
『いいえ。誰も通しておりません。私どももお伺いしておりませんが』
 唐突な質問にも驚きを表さずに忠実な秘書は答える。
「…ならいい」
 内線を切るのはマジックの方で、秘書の方から切ることはない。
 だがいつまでたってもその気配がないのを訝ったティラミスは、遠慮がちにたずねた。
『総帥、どうかされましたか?』
 その問いかけにはじかれたようにマジックは生返事をしたが…暫くの沈黙の後改めて秘書に告げた。
「…ティラミス」
『はい…』
「やはり…例の物を…日本支部に届ける手配をしてくれ。24日に届くように」
『かしこまりました』
 受話器がおかれた音の後、マジックの周りは静寂に包み込まれた。
 サイドボードに置かれた写真にいる者たちはここには誰一人いない。
 父、母、弟たち…妻…そして愛しい……。
 笑いかけている彼らに手を伸ばしても飛び込んでくることはなく、抱きしめ、抱きしめられることもない。
 彼らは、『おまえは一人になったのだ』と告げるだけだった。





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