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白い追憶



「雪だよ、サービス」
 灰色の空から零れてきたものに驚き、横にいるサービスに言うと、どうりで今日は寒いはずだね、とあまり驚いていないというような顔をされた。
「寒いと雪が降るかもしれないって思うわけ?」
「まあね。特に天候が交通機関に左右するほど降る地域にいる時はね」

 そうなんだ。
 ジャンはまた一つふたつと降ってくる雪を掌に受け止めようと手を広げた。
 落ちてきたジャンの大きな掌に載るとすぐに小さな水滴になった。
 ただそこに冷たいものが一瞬触れたという感触だけが残ていく。
 一つ一つの雪は小さいにも関わらず、手袋もしていない掌を広げていれば、嫌でも掌が凍えてくる。
 それにようやく気づいたジャンは、慌ててポケットに手を突っ込んだ。
「てっきり寒くないのかと思ってた」
 一連の子供のような行動に呆れたように喉の奥で笑うサービスに、ジャンは『寒いよ』とコートの襟をかき合せる。
「早くどっかに入りたいくらいに寒くてたまらないよ」
「昔はあんなに喜んでいたくせに」
 昔と言える時はあの頃しか存在しない。
 膨大な記憶の中からそれを引っ張り出してくるのは簡単だった。
 誰もいない教室の窓の外、灰色の雲の中から舞い落ちてくる白い小さなものを見た時、思わず窓を開け放って乗り出してしまった。
 それが『雪』だということは知ってはいたが、実際に降るのを見るのは初めてだった。夢中になるあまり、サービスと高松が来たのにも気づかず、『…何してるのさ、ジャン』という声に、振り向いた先にあったのは二人の呆れ顔。

「…あの時は本当に珍しかったんだよ」
「みたいだね。さっきのジャンを見て思い出したよ」
 乗り出していた窓を閉じ、『だって雪だよ!雪が降っているんだよ!』と言っても二人ともさして驚いた様子もなく、
 『雪を見たことなかったんですか。あんた、かなり暖かい所の出身なんですねぇ』と高松に言われて一瞬ドキッとしたが、結局三人ともあたりを白く埋め尽くし始めた雪の乱舞に見入ってしまい、ジャンの出自を問われることはなかった。

「思えばあの頃…ジャンは自分のことについてたくさんのウソをついてたけど…」
 偽りで塗り固めて入り込んだガンマ団、青の一族……。
 一瞬悲しそうにジャンの口元が歪み、彼は足元を気にするふりをして俯いた。
 微妙にペースの落ちたジャンは、半歩遅れてサービスの後ろに行く。
 どんなに歳月が経とうとも癒えない傷はどちらにもある。
 サービスの右目は蘇ることはなく…ジャンが番人であったという過去も消えない。

 スーツケースやコートにまで積もり始めた雪は、彼らに道を急いだほうがよいと告げていたが、ジャンとサービスの距離は開いていく一方だった。
 サービスは足を止め振り向くと、追いついたジャンの俯き加減の顔にしなやかな美しい指で頬に触れた。
 冷たい指先がジャンの顔を上げさせる。
 それからじんわりと暖かさがジャンの肌に伝わっていく。
「…あの時、雪を見て驚いてはしゃいだジャンは本当のジャンそのままだったんだね」
 ジャンはサービスの手を取ると掌に口付けた。
「…オレはこれから先、おまえにどんな嘘もつかない。誓うよ…」
 サービスに与えられた温もりがジャンの唇から返され…
「それは分かっているから…」
 それを逃さないようにサービスはしっかりとジャンの手を握りしめた。
 そこにきて、ジャンは自分たちに乗っている雪の冷たさに気づいた。
 慌ててサービスの髪やコートについた雪を払い、促す。
「急ごう。悠長にしてたら雪に埋もれてしまう」
「そこまで降らないと思うけど?」
「雪はおもしろいけど、やっぱり寒いのは嫌いだ」
「同じこと言っている」
 何と、と尋ねるまでもなかった。
 降りしきる雪に魅入るあまり、『そんなに見たいなら外に出たら?犬みたいに走り回って遊びたいんだろ?』といわれた時のことだ。
「寒いところよりも暖かいところが好きなのも偽りのないオレの姿だよ」
 サービスは、はいはい、と、ジャンを言い負かすのを諦め、徐行でこちらに向ってくるタクシーに手を上げた。
「…ちょっと勿体無い気もするけど…」
 かすかに残る痕跡をジャンには見えないところでもう一度握り締める。
 人工の温もりに包まれても、ここに残されたそれは褪せることもないだろうと、彼はタクシーのシートに身を預けた。
 
Fin

 
Happy Birthday ,Jan





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