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百年の孤独



 波一つない穏やかな夜だった。
 パプワや他のナマモノたちは眠りについている。
 だが、リキッドは眠りをむさぼることができない。
 普段はそうでもないのだが…時々一度目が醒めてそれからどうしても眠れないという夜があった。
 そんな夜はこっそりと寝床を抜け出して、一人で甲板から海や星空を眺めて過ごす。
 今夜もリキッドは皆を起こさないようにコッソリと起きだし、甲板へ上がっていった。
 
 白い月明かりに照らされた水面はどこか寒々しく、どこを目指すか告げられずただ進んでいく船に揺られていく日々に不安がないわけではない。

 波間を漂い続ける船の進行方向にあるのは、丸い月。
 目の前に広がる光景は息を呑むほど美しいが、それを拭い去ってくれるわけではない。今自分たちがいる地域は季節は冬に向かっているのか、空気が刺すように冷たく感じられリキッドは身震いした。


 何も知らされないあてどもない旅に不安を感じ、舳先からこの船の行き先はどこなのだろうかと前方に目を凝らして見たことは何度もあった。
 運がよければ何かしらの島やクジラ、イルカといったものが見えたが、いつも大海原ばかり。 

 だが、月が異様に冷たく感じられたこの夜…リキッドは舳先に浮かび上がるものに息が止まるほど驚いた。
 月明かりに輝く銀色の長い髪を持つ男がいつもリキッドが立つ場所に佇んでいた。
「だ、誰だ」
 こんな場所に自分とパプワ以外の「ヒト」がいるとは思えない。
 一瞬、幽霊か幻だと思ったのだが、そうとは言い切れない存在感と圧倒される何かがひしひしと伝わってくる。

 呼ばれた男はゆっくりと振り返り、その顔を見たリキッドは目を見開いた。
「て、てめぇ」
 直接対峙したことはない。だが、コイツが何者かは分かっている。
「死んだんじゃなかったのかよッ!」
「死んだ?誰が?」
 冴え冴えとした月明かりよりも冷たい微笑を湛えながらアスは答える。
「あの時消失したのはあの男の肉体であり、私はではありませんよ」
「何故ここにいるんだ」
「やれやれ…物分りの悪い方ですね。どうしてジャンがあなたと変わったのか私には理解できません」
「答えろ」
「私は青の秘石の番人です。青の秘石がここにいるから、私もここにいるだけのことですよ」
 全く明快な答えだった。
 だからといってそれで安心したといえるほどリキッドはお人よしでも子供でもなかった。
 赤の一族の番人となった今、先の戦いを見た者として『はいそうですか』といって引き下がるわけにもいかない。
「何を企んでやがる」
「あなた、何をそんなに私を警戒しているのですか?」
「警戒せずにいられっかよ」
「今の私は肉体のない単なる意識体にかすぎませんよ」
 ふわ…と重力を感じさせない軽さでアスは浮きあがり、リキッドに向かってきた。
 ぶつかる、と思った瞬間…リキッドはアスにまったく質量がないこに気づき、次にはアスは自分をすり抜けて後ろに立っていた。
 意識体とかいうくせに…なんなんだこれは…。
 後ろに立たれた時、鋭い剣のきっさきを背中に突きつけられたような気分になった。
 これで安心しろ、などといわれても誰が信用するものか。
「ご理解いただけましたか?」
 冷や汗を盛大にかいているリキッドの後ろから笑いを含んだ声がした。
「……てめぇはまだオレの質問に何も答えてねぇよ。勝手にべらべらとしゃべるばっかでよ」
「…何をしにきたといわれれば…そうですね…敢えていえば新しい赤の番人に挨拶に来たというところですかね」
 ぞくり、とする感覚が再び背中を駆け上る。

 獰猛な肉食獣に背中を押さえつけられているような恐怖とでもいうのだろうか。
 今まで、圧倒的な力で自分を抑えた人間といえばハーレムがいたが…それを遥かに上回る威圧感と恐怖が背中からヒシヒシと感じられ、一歩も動くことができない。

 固まったままのリキッドにアスは言った。
「自己紹介もしてくれないのですか、あなた」
 緊張でカラカラになった声でようやくリキッドは返事をした。
「…リキッドだ…」
 アスはそれだけで納得したらしい。
「リキッドですか。…では、リキッド。おやすみなさい」
 背中に突きつけられていた剣のような気配が消え、おそるおそる振り向いた時…そこには誰もいなかった。










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