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残された傷、見えない痕 「これはまた…派手にやってくれましたねぇ」 診察室に通されたシンタローを見るなり、高松は人の悪い笑みを浮かべてそういうと、上着を脱いで座るように指示した。 シンタローが血と泥に汚れた上着を脱ぐと、助手がそれを受け取り脇の籠に入れる。 「ちょっと失礼しますよ」 高松はシンタローの顎を捉えると顔を左に向かせ、次は右に…と怪我の状態を調べ始めた。 顔面擦過傷、左の上腕は鋭利なものによる裂傷…左膝打撲、右眼瞼の腫れ…と、高松はシンタローの有様を細かくチェックし、横にいる助手がカルテに書き込んでいく。 「…別にそんな派手にやったわけじゃ…」 歯切れの悪い言い訳をきっぱりと高松はさえぎった。 「十分派手ですよ。シンタロー君。アンタが一番最後の患者だってことは分かってますよね?」 「あ…ああ」 シンタロー自身も、先にここに来て高松が診察後、医務室経由付属病院行きにした連中のことを思い出しあいまいな返事をするしかなく、高松もそれ以上は言及せずに手当てにかかった。 「さてと、まずはこちら」 高松は一番深い傷の左の上腕を取り、消毒薬をたっぷりと含んだ脱脂綿で傷を拭く。 「…っ」 覚悟していたとはいえ、消毒薬が傷に染みる痛みにシンタローは渋面を作った。 「ナイフが切り裂いたのは表層部だけです、縫合もいらないですよ。訓練着とはいえ、軍服と素材が同じだったのが幸いしたんですねぇ」 消毒薬の染みこんだ白い脱脂綿の領域が、滲んでいた血で赤く染められていく。 別に珍しいものではない。 いつも日常的に見ているものだ。怪我や手術や検査や研究のサンプルと見るときの目的が違うくらいのものだ。 拭って清めてしまえばおしまい、というだけのものなのに…赤い傷口から流れたそれには…15年前に流れたあの血が流れている。 唐突に訪れた感傷に高松は目を伏せる。 そもそもこのような感傷に浸るのはもっともっと遠い未来のことだと思っていた。 いや、そういことも想像できないくらいに自分たちは若く、無限の時間と体力があるわけではないと分かっていても、信じられる年だったし、それが突然断ち切られる瞬間をどれだけ目の当たりにしても、彼にそういうことが起きると想像もできなかったのだ。 実際高松は戦死した瞬間を見たわけではないし、遺体さえ戻らなかったのだからどんな傷が致命傷となったのかも知りようがなかった。 知ったからといってその頃の自分に何ができたと言うわけでもない。 できたとしても、ルーザーは戦場で散った、という事実だけが変わらずにあるだけだ。 そういう風に考えられるようになるにはかなりの年月が必要だったが…。 「ドクター?」 高松はシンタローが自分を呼ぶ声に我に返った。 手当てをしていた手が完全に止まってしまっていた。 「あ、すみません」 高松は消毒を済ませたシンタローの腕に包帯を巻き、残りの傷の手当てにかかった。 「ま、これに懲りたらケンカはやめておくんですね」 手当てが終わり、脱いでいた上着を羽織ろうとしていたシンタローが、少し顔を曇らせた。 「訓練だって」 「最近は上級生6人対下級生1人の戦闘訓練プログラムがあるのですか?」 それは知りませんでしたねぇ、と言いながら高松は処置に使った用具や汚れたものを脇によせ、助手が無言でそれらを片付け始める。 「化膿止め出しておきますね。腕の傷は大して痛まないでしょうけど、念のため痛み止めいりますか?」 返事がないので顔を上げてみると、シンタローの唇はわなないていた。 が、なんとか口に出かけていた言葉を飲み込み、短く『ああ』とだけ応えた。 処方する薬をカルテに書き込み助手に渡すと、高松はシンタローに向き直り、 「…それと、私はこの件を上に報告するつもりです」 と告げ、机の脇に置かれているキャビネットから報告用の書式の印刷された用紙を取り出した。 「やめてくれっ!」 シンタローの叫び声が上がる。 「おや、どうして?六人も病院送りが出たら上の人たちに報告しない訳にはいきませんよ。 それにね…下級生に対するリンチは前からあったんですよ。そりゃもう、私があなたくらいの年のころからね。いい見せしめにもなりますし、抑制にもなるでしょう」 特にあなたの父上が下す処分はね、と最後に念を押すように付け加えた時、シンタローの顔は蒼白になった。 総帥の息子にちょっと痛い目にあってもらおうかという下種な考えを持ったことを上級生六人は自らの命で贖うことになりかねない。 彼らは総帥の『愛息子』の意味を軽く捉えすぎていた。 そして、シンタロー自身も。 シンタローは頭をもたげ、高松をにらみ殺さんばかりに正面から強い瞳で見据えた。 「あれは訓練だった。ただ本気になりすぎただけなんだ」 「…だから見逃してやってくれ、ですか」 「行き過ぎた訓練が処罰の対象になるってんだったらそれはオレも一緒だ」 あくまでも訓練だと言い張るつもりのシンタローに、結局高松は折れた。 「そうですか………」 「そうだ」 「分かりました。あなたのその言葉のまま報告しておきましょう」 シンタローは安堵の息を一つつき、さっきまでの態度とはうって変わった殊勝な態度で高松に頭を下げた。 高松は処方した薬を持たせると、入浴はムリだが、左腕を濡らさないようにすればシャワーは浴びてもよいと言い渡し、保健室から出て行くシンタローを見送った。 出て行く時にもう一度頭を下げた彼の黒い髪が瞼の裏でちらつく。 黒い髪、黒い瞳。 あの人の面影はどこにもないと思っていたが、こういうところにもないらしい。 それはそれでよいことなのだが…。 覇王の一人息子として育まれ、約束された後継者の地位に向って一歩一歩進んでいる姿は、 望んでいた結果だというのに…。 「…何を望んでいるんでしょうね…」 思いがけず口にでた言葉に、助手が不審そうな眼差しを高松に向けた。 が、詮索を許さないというドクターの一瞥に彼は眼を伏せると、一連の騒動で使われた薬品や物品の補充をすると断って、診察室を出た。 一人残された高松は、雑然となってしまった机上の整理にかかり、所定の位置に全部戻した所、内線が鳴った。 内線の発信先を確認した彼の口元が微かに綻ぶ。 手元に置いて育ててきた『忘れ形見』からだった。 |
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