□□□
□□




0521

「………500…と」
「まぁだそんなとこしてるわけ?」

 緊張した面持ちで出撃前の点検をしていたリキッドは、後ろからかけられた声に振り向きもせずに答えた。
「念入りにしとかない…と。おめーんとこは終わったのかよ、ロッド」
「オレのところ?とーっくの昔に」
 ロッドが任されているのは通信設備やレーダーといった機器その他船内設備。
 専門的知識がないと手も足もでないし、それに些細なミスが命取りになる重要な場所だ。

 それに引き換え、リキッドが任されているのは、リストと照らし合わせて、ちゃんと数がそろっているかどうかを調べれば済むだけのものばかり。
 
 悔しいけどこれは能力と経験の差。
 
「ま、言われたことをちゃんとしているところはえらいえらい」
 ごほーびにアメあげよっか?とまで付け加えられ、まるっきり子供の扱いに頭が痛くなる。
 それにこのままここに居座られたら途中まで数えていたカートン数が分からなくなりそうだ。
「うるさいな、気が散るからあっちに行ってくれよっ」
「おーこわっ」
 全く怖そうに聞こえないロッドの口調がまたリキッドをいらだたせるが、まともに相手をしている場合ではない。さっきちらりと見た時計は、残りの時間が少ないことを告げていた。
「間違えたら大事だって…」
「リストに不備あったらまた隊長にどやされるもんねー」
「そーじゃねぇだろ。不備があったら……こっちゃ一巻のおしまいだって…」
 末尾に行くほど歯切れの悪くなるリキッドの言うことも最もだ。
 特戦部隊の次のミッションは…今の戦局の最大の山場だと言われていた。
 某国。地形もややこしく、ゲリラ活動も活発なのに加え、近隣のかつてガンマ団に滅ぼされた国からも多くの人員がなだれ込んでレジスタンスを作り上げている。
 ガンマ団が投入した兵器も人員もかなりの数に上っているのに、未だに膠着しているということでついに特戦部隊に出撃命令が出た。
 おまけに、特戦部隊を投入してもダメなら、マジック総帥自らが赴くという。
 そうなるとハーレムがおもしろいはずがない。
 作戦の概要を説明するときに思いっきり檄を飛ばされた。
 特に、足手まといになりそうな下っ端は念入りに…というよりも、鬼気迫る勢いで今度の作戦のことを叩き込まれた。
 説明のための資料を準備したマーカーが見かねて、
『隊長、いくらなんでも脅しすぎです。ボーヤが萎縮して使い物にならなくなりますよ』と言えば、『コレくらいで使い物にならなくなるような兵隊は置いていくほうがマシだ』と返された。

 
 さすがに真剣な作業を本格的にジャマするつもりのないロッドは、一旦入り口まで戻り、通路でリキッドから断られたキャンディをしゃぶり始めた。

 最後のカートンのチェックを終え、サインをし、リキッドは大きく体を伸ばす。
 入り口にまだ佇んでいるロッドに気づき顔を向けると、ロッドは『おつかれさん』とばかりに、摘み上げたキャンディをプラプラと振った。

 もらったレモンのキャンディを口に入れると、甘さと辛さが微妙に混じった味が口いっぱいに広がる。
 それを口の中で転がしながら、リキッドはロッドと並んで報告のために司令室へと向った。
「緊張しまくってるねぇ」
「そうでもねえよ…」
 精一杯の強がりで答えたリキッドだが、自身でも分かるほどこわばった顔をしている。
「もうちっとしゃきっとしてろ。隊長は覇気とやる気のねぇヤツが一番キライなんだから」
「…ロッドは怖くねえのかよ」
 作戦の概要を聞かされてから何度も頭の中で繰り返したシミュレート。
 地形、天候…装備…どれだけ繰り返してもリキッドの頭に最後に浮かぶのは、それまで自分が最後に見てきた敵の姿…に成り果てた自分。
「あー確かに。今度のはさすがのオレでも震いがきそうだねぇ〜。グズグズしてたら獅子舞が機嫌悪くなるし、総帥まで出てくることになったら減給は免れなさそうだし、獅子舞の八つ当たりも漏れなくついてきそうだし」
「ちげぇよ。そうじゃなくって!」
 何が?と言う顔で見下ろすロッドに、リキッドは次第に小声になりながら言った。
「…こ、今度こそダメじゃねぇかとかいう心配したことねぇの、おまえ。そりゃおまえとオレじゃ経験も何もかも違うってのは分かってるけどよ…」
「あーそっちね。ないと言えばウソになるかな…」
 ロッドでも…、と、それでちょっぴり自信を取り戻したリキッドだが、
「…て言えばおまえも自信がつくのか?」
 と付け足されたのに、頭にきて得意のパンチを繰り出す。
 ロッドは軽々と横によけてしまったので、結果は空振り。

「死ぬのがイヤなら死ぬな、そのためには何をすりゃいいか自分の足りないオツムで考えろって…獅子舞様に言われなかったのかよ」
「ウッセーよ。どんなに考えたって…イヤな方向にしかいかねえんだ」
 あーあ、こりゃまたマーカーの言うとおりになっちまったわけだ、とロッドは肩をすくめた。
「分かったよ、とっておきの秘策を教えるから、泣きなさんな」
「泣いてねぇだろっ!」
 二発目のパンチは軽くロッドのみぞおちにヒットしたが、大した威力はなかった。おまけについてくる痺れも。
「いーことが待ってるというのはどうだ、ボーヤ。今度のミッション終わったらさ、いい店紹介するから」
 いい店…ねぇ…とあまり嬉しくなさそうに口ごもるリキッド。
「ま、不満だってのー?ボーヤのくせに、生意気にも程があるぜ〜」
「こないだ行った店でオレを潰して挙句に財布からカード抜き取って支払いしたのは誰だよっ」
「ハーレム隊長他4名」
 最悪の連帯責任者たちに、これ以上抗議しても何もならないのが分かっているリキッドはロッドからプイと顔をそらして足を速めた。
 大股でそれに追いついたロッドは、
「分かったよ、お酒とおねーちゃんはナシで、おまえが今一番欲しいって思っているのを言ってみろよ」
 …ともう一度リキッドの希望を聞くことを試みたところ、数秒後に帰ってきた、
「こないだ発売された限定物!!!…」
 という答えに続いて出てきた世界的人気ネズミキャラの名前に腰が砕けた。
「……ボーヤ…おまえの楽しみってそれしかないのか?」
 なんとか気持ちを立て直してもう一度質問をしたロッドに、リキッドは…
「だってさ…あれ10万もするんだぜ。オレの給料じゃぜーったいに買えないし…」
 ささやかな望みかと思えば、たかがぬいぐるみになんつう価格設定、とロッドは目を丸くした。
 それでもガンマ団で普通に給料もらっていれば悠々買える値段なのだが…。
 リキッドの懐事情を思い出し、ロッドはかなり切なくなった。
「まー隊長に言っとくわ。リキッドちゃんが死んだら墓前に花は要りません、10万円のネズミで満足です、って」
「縁起でもねーこと言うんじゃねーよっ!」
「さすがのあの人でもそれくらいはしてくれるんじゃねえの?」
「いーや、絶対にしない!」
「あーあ、隊長も嫌われたもんだ。ま、死んでもめぐり合えそうにない恋人に思い焦がれるよりも、生きて特別ボーナスもらって、抱きしめる方がずっといいだろ?それを励みに行った行った」
 気がつけば、二人は司令室の前に立っていた。
 リキッドはチェックの終わった書類をハーレムに提出しにそのまま中に入り、そこまでついてくるつもりはなかったのだが、気がついたら話に夢中でここまできていたロッドはとっくに報告を終えていたので、共有スペースに戻ることにした。

「お守りご苦労」
 共有スペースのちょっと手前で後ろからかけられた声に振り向くと、マーカーがニヤリと笑っていた。
「あら、いたのマーカーちゃん」
「案外いい教育係になれそうだな、おまえは」
 と、弟子を持っていた同僚に言われて、ロッドはどうも落ち着かない気分になる。
「マーカーちゃんのお墨付きは嬉しいけど、オレは給料の足しにならないことはしない主義よ」
「給料の足しになるかどうかは知らないが、さっきおもしろいもの見つけてな」
 マーカーはくしゃくしゃに握りつぶされた、薄いカタログをロッドに差し出す。
 広げてみると、まさにさっきリキッドが言っていた某ネズミがそこにあった。
「ひゃあ〜本当にこの値段なんだ。すげぇ!」
「何見てんだ、ロッド。おめーまでそっちのシュミに行ったのか?」
 背後からした声に肩をすくめて振り返ると同時にカタログを後ろにいたハーレムに取られる。
「隊長いらしてたんですか?」
 てっきり司令室にいると思っていたハーレムの出現にマーカーは背筋を伸ばし、ロッドもだらしなく開きかけていた襟を正す。
「今最終ミーティングから戻った。それはそうとこりゃなんだ?10万?」
「ボーヤのささやかな願いだそうですよ」
「こんなチンケな野望のうちはダメだな」
 ハーレムは鼻で笑うと、ロッドにそれを返し、受け取ったロッドはにやりと笑ってハーレムに囁いた。
「隊長ここは一つ賭けませんか?」
 賭け、という言葉にハーレムの眉が動く。
「何をだ?」
「ボーヤが今度の作戦で無傷で帰ってきたら、ご褒美にこれを買う、不幸にも…」
 だが、ロッドが、賭けの内容を全部言う前に鈍い音と後頭部に衝撃が走り、彼は後ろ頭を抑えて、加害者をみやった。
「バカな事言ってんじゃねえよ!」
 賭けの出汁にされかけていた下っ端が顔を真っ赤にして、もう一発かましてやろうと手を振り上げた格好のままGに後ろから羽交い絞めにされていた。
 Gの判断は賢明だった。
 これがヒマなときなら、ロッドに突っかかっては軽くいなされるボーヤを酒のツマミにでもすればいいが、今はもうそういう状況ではない。
 点検と補給に当たっていた部下全員が揃い、最後の打ち合わせも終わった今、行くべきところは一つ。
「情けねぇケンカしてんじゃねぇぞ。とっとと司令室にこんか」
 手渡された分厚いファイルでロッドとリキッドの頭を軽く小突いたあと、ハーレムは司令室に踵を返す。
 羽交い絞めから開放されたリキッドを始め、全員が敬礼し、ハーレムの後に続いた。









 作戦はマジック総帥のお出ましを待たずに、予定よりも4時間早く終了。
 ここ近年にない激戦、に偽りはなく…特戦部隊も無傷ではなかった。
 それでも点滴につながれ腕と足にギプスをはめられて入院しているのが一人で済んだのは上出来だとハーレムに言われ、背もたれをあげたベッドに横たわるリキッドは反対側を向こうとしたが、左腕左脚のギプスのせいで無理だった。

 無理に体勢を変えようとして走った痛みに、リキッドの目尻から涙がこぼれる。

「それくらいで泣いてどうする。痛み止めが切れたらそんなもんじゃ済まねぇぞ」
 乱れたリキッドの前髪をくしゃくしゃとかき回すのはハーレムなりの労いなのだろうか。
 意外と優しいその動きに、自分は生き残ったんだ、という実感がわき始める。
 治療に向う前に、迅速性を優先させた結果手荒く載せられたストレッチャーの上で悲鳴を上げたときに、『痛いのは生きている証拠だっ』といわれて実感したが、今度は安心感と心地よさも伴っていた。
 リキッドがうとうととし始め、ハーレムが院内禁煙にガマンができなくなりかけた頃、病室のドアがノックされ、ハーレムが返事をすると、軽い音を立てて開き、ロッド、マーカー、Gの三人が入ってきた。
「ちーす!お、リキッドちゃん、意識戻ったねー」
 そういうロッドは額に大きな絆創膏を貼っていて、Gも腕に包帯を巻かれている。マーカーはどこにも怪我などしていないという涼しい顔をしていたが、背中の打撲からくる痛みを表情に出していなかっただけだった。
 また五月蝿いのが揃ったか、という顔でやってきた部下たちを一瞥したハーレムは、Gが持っているでかい包みに気づき、『それは何だ?』と尋ねた。
「言ってたでしょ、リキッドボーヤが無事に生還したら10万円の…」
「まさかあのネズミ買ったのかよっ!」
 驚きの視線がハーレムとリキッドの二人から同時にロッドにロッドに注がれる。
「まさか。だって、『無事に』生還はしてないでしょ?」
 さすがにそれはないか、とリキッドは気抜けした。まあそれのもう一つの条件よりはずっとマシだったが…。
「ホラ、開けてみなよ」
 リキッドに包みを差し出そうとしたロッドにGが首を振る。
「腕が…」
 あ、そうか、とロッドはリキッドの左手のギプスに今更に気づき、Gの持つ包みを受け取るとリキッドに背を向けて自分でリボンを解き始めた。
「じゃじゃーん!」
 という間の抜けた掛け声とともに振り向いたロッドが抱えているものに、リキッドの目が見開く。
「すげー!」
 さすがにあの10万円のものではなかったが、思いがけず登場したお気に入りのキャラクターの特大サイズのぬいぐるみに、それまで目のふちをくぼませてぐったりとしていたリキッドの顔が輝いた。
 全く、このボーヤは本当に…とその場にいた全員が同じ事を思ったが、あまりにも嬉しそうなその顔に何も言わなかった。
「ほら、隊長」
「んあ…?」
 ぬいぐるみを突きつけられて驚くハーレムに、ロッドは言った。
「特戦部隊からのお見舞いだからねー。隊長から渡してもらわなきゃ」
 そんなの聞いてないぞ、と言いたいところだったが、嬉しさに潤む部下の瞳が見上げている中、断るわけにはいかないハーレムは受け取る。
「ほらよ」
「ありがとうございま…っいてっ!」
 元気に礼を言ったのはいいが、それがまた傷に響きリキッドは顔をしかめた。
 ハーレムは手渡すのをやめ、体を起こそうとするリキッドを制し、彼の脇に置く。
「ま、今のうちに寝とくんだな。また痛い痛いって泣く前にな」
「ス、スンマセン」
「オレはもう時間だから帰るぜ」
 時計を確認したハーレムがそういうと、長居をしない方がよいと分かっている三人も、それに続いた。
「では私たちもここで」
「じゃーね、リッちゃん」
「………またな」
 
 病室のドアが緩やかに閉まっていく間、遠ざかるハーレムと同僚たちの会話が微かに聞こえてきた。
『……そんなモン『交際費』とかで落とせ』
『それで通る経理なら苦労はしません』
『福利…厚…っ』
『いい加減諦めて、隊長の分の三千円払ってください』
『!!!!……!……ッ…!!』
 次第に遠ざかっていったそれが聞こえなくなるのと入れ違いに、看護士が検温にやってきた。
 体温計を渡し、記入する手元を見たリキッドは、彼に頼んだ。
「ちょっとそのボールペンかりてもいいっスか?」
 看護士は『どうぞ』と手渡す。
 その後体を起こそうとするリキッドを制した彼は、何をするのかとリキッドに尋ねた。
「新しいの手に入れたら…コレに日付書いておくことにしてんスよ」
 横にあるぬいぐるみの手首についている商品名のついたタグを視線で指しながら説明すると、看護士は頷き…
「これならできるんじゃないですか?」
 タグの下に、自分が持つバインダーを差込み、下敷き代わりにする。
 ぬいぐるみを看護士に片手で支えてもらい、もう一方の手でタグを固定してもらうと、なんとか書けそうだった。


「今日の日付は…と…」
 チラリと横のテーブルに置かれてる自分の腕時計を見て、確認したリキッドは注意深くその日付を書いた。

『21st.May.19XX…』と。


    

The End






□□
□□□