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離脱前夜



 昨夜遅くまで本部で会議があり、深夜から明け方に変わろうとする時間に戻ったことは知っている。おそらくハーレムはまだベッドの中だろう。だが、そろそろ起きてもらわねばならない。
 そして、今日こそはまともな食事を…と、朝食を載せたトレイを手にGはハーレムの私室の前に立った。

 新総帥シンタローとハーレムの確執が周知の事実となった今、特戦部隊は本部からでることを許されずに待機していた。ハーレムは毎日総帥と前総帥に呼び出されては険のある顔で飛行船に戻ってきて私室に篭る日々になってしまった。
 本来本部居住区にあるはずの自宅に戻らず、飛行船にばかりいるので、Gたちもここを去ることはできない。
 命令されたわけではなく、今ここを去ったらどうなるのか分からない…という気持ちが彼らをここに止まらせていた。
 この状態が続き、いつ爆発するのではないかという緊張感が高まると共に、ハーレムもすさんでいく。
 それは、真っ先に酒量の増加に現れた。

 ハーレムのここ数日の食生活はめちゃくちゃだった。
 眼に見えて増えた酒量の分食べる方がおろそかになっている。
  
 それを憂えた三人は、配給されるそっけない食事をなんとかハーレムの食欲をそそるものにしよう、栄養価のあるものを取ってもらわねば…と心を砕いてきたが、いずれも徒労に終わっていた。
 

 ドアをノックをする。
 返事がない場合、20秒後にもう一度ノック、それでもなければ一言断って中に入る。
 今日もそのお決まりのコースだったが、前と違うのはハーレムはとっくに起きていたらしく、洗面所から水を使う音がしていた。

 Gは持参したトレイをテーブルの空いた部分に置き、面積の大半を占有している酒瓶をどけにかかった。それらを一旦部屋の隅に置き、ふと見ると…クローゼットの脇の肘掛椅子にハーレムが昨日出て行くときに着ていたものがそのまま投げ出されていた。
 Gは、隊服の袖の付け根の部分がほつれているのに気づき手にする。
 調べてみると前のボタンも一つとれていた。


「何してんだ」
 他にどこか痛んでるところがないか探しているうちに、ドアが開き、部屋と服の主が姿を現した。
 Gが答えるよりもさきに、ハーレムはテーブルの上にあるものを一瞥し、Gと見比べたが、棚から酒瓶を取り出す。
 一口煽った彼は、無言で隊服を持ったまま立ち尽くしているGに自嘲じみた笑みを浮かべて言った。
「ソイツはもういらねんだよ」
 特戦部隊は解散だ。昨日決まった。
 吐き捨てるように言うと、瓶の残りの酒を一気に煽る。

 予兆はあったとはいえ、いざ告げられてみると驚かずに済ますことはできなかった。
 驚きのあまり目を見開いている部下に、ハーレムは
「だからもういらねぇ。捨てとけ」
「ですが…」
「いらねぇって言っただろうが」
 ハーレムが落とした空になった瓶がGの足元に転がってくる。
 隊服を持つ手が震え始めた。
 特戦部隊の象徴ともいえる隊服の惨めにくたびれた姿と、それをまとう本人が重なり、Gは立ち尽くしていた。
 ハーレムはGと目を合わせようともせず、ソファに腰を下ろす。


「できません」
「何ぃ?」
 この部下の口から拒絶が来るということに驚いたハーレムは立ち上がるとズカスガとGの元へ歩いていき、顔を噛みつかんばかりの距離まで寄せた。
「いいか、特戦部隊が解散するのは明日の午前零時だ。それまではおまえはオレの部下なんだよ。なのにもうオレの命令がきけねぇっていうのか?」
 Gはひるんだ様子も見せず、逆にさっきよりも強い語調で言う。
「あなたの口からそんな命令が出ること事態が私には信じられません!」
 認めたくはないが、寡黙な部下の低く響く声に威圧された。
 コイツはこんなに口が回ったのか?とハーレムは内心で驚いた。そして、こんなに悔しそうに歪む顔を見るのも初めてだった。

 感情のぶつけ合いはしても、互いに危害を加えるつもりはない二人は、ほぼ同時に力を抜いた。
 未だに驚きから脱していないハーレムに、Gはいつもの彼に対する時の声音に戻る。
「…あなたがガンマ団を去るというのならそれは止めません。ですが、そんな惨めな姿で出て行くのは耐えられない」
 震える手で隊服を握り締めるGから目をそらした先にあったのは、姿見だった。
 そして、そこにいる男はあまりにも惨めだった。
 だらしなく羽織っているバスローブ、ろくにブラシもいれられていない髪と、無精髭…なんの輝きもない澱んだ目。
 昨夜、ついに解散を命じられた時…戦場を離れた自分の姿を思い浮かべようとしてできなかった。だが、もうそこにいる。今鏡の中にいるその姿がソレだ。

 
 

 視線を正面に戻すと、さっきと変わらぬ姿で立ちまっすぐに見つめるGがいた。
 
 ハーレムは乱れ落ちる髪を指で梳き、後ろ向きに撫で付け、
「……メシ食ったらすぐに行くから全員集めとけ」
 そして、ついに自分を言い負かすことに成功した部下に命じると、テーブルに就き、用意された朝食をフォークでつつき始めた。
 
 Gは自分が持ってきた食事がハーレムの口にきちんと運ばれているのを確認すると、
「………司令室に集まるように言っておきます」
 と、一礼して部屋を辞した。


 





「…予感はあったけどさぁ。いざそう言われるとやっぱりキッツイねぇ」
 Gに言われてやってきた司令室で、押し黙ったまま座っているのに耐えられなくなったのは、やはりロッドの方だった。
 
 しかし、せっかく沈黙を破ったその一言は、この部屋に漂う重い雰囲気を軽くするのに何の役にもたたなかった。

 マーカーとロッドに『司令室にて待機』と言った張本人のGは自室に篭っている。
 ハーレムはまだ出てこない。

「どうするよ、マーカーちゃん」
「それくらい自分で考えろ」
 マーカーはいつもの口調でロッドを突き放す。だが、いつものタイミングより少し遅かった。

 再び二人の間に沈黙が流れ始め、またもや沈黙に耐えられなくなったロッドが口を開こうとしたとき、入り口が開いた。
 そこから現れたハーレムに二人は立ち上がって敬礼する。
 
 ハーレムは何故か隊服を着ていなかったが、彼の足取りはここ数日とは明らかに違っていた。
 多少のやつれは残っているが、目がまるで違っていた。
 ギラギラとした闘争心や殺気とは違う、穏やかな眼差しとは言いがたいが…明らかに彼の中で何かが変わったのだということを伝えていた。

 
 さっき自分のところにきていた部下がいないことに気づいたハーレムが、マーカーに尋ねた。
「Gはまだ来ておりません。呼んできますが…」
「まあいい。暫く待ってれば来るだろう」
 それを合図に2人は着席した。

「特戦部隊は明日の午前零時をもって解散だ」
 人づてに聞くのとハーレムの口から聞くのでは、衝撃は違った。
 声にならないため息がマーカーとロッドから同時に漏れたが、ハーレムはそれを咎めるわけでもなく、淡々と二人を見渡したところで、ドアが開き、遅れていたもう一人の部下がやってきた。
 
 一斉に振り返った三人は、Gが手にしているものを見て少し驚いたような表情をした。
 本来ならハーレムがきているべき隊服がGの手の中にあった。
「おう、ありがとうよ」
 Gはハーレムにそれを差し出し、ハーレムは袖を通す。
 着る時に確認した前日甥ともみ合いになったときに破れた部分は、綺麗に繕われていた。
「ちゃっかりと持ち出してたから修繕してくれるだろうと思ってたが、ちゃんとアイロンまでかけてるじゃねぇか」
「………は」

 二人の間で何があったのか、マーカーとロッドは改めて問うことはしなかった。

 ハーレムがそれがきっかけで腹をくくったのが分かったことで、それまでの自分たちの中にわだかまっていたものが、たった今の間にどこにもなくなっていたのに気づいた。

 改めて部下たちに向き直ったハーレムは苦笑する。
 おまえら、少しは驚いた顔しろよ、と困ったような顔で言ったが、三人は三様の表情で、もはや納得済だとハーレムに告げていたのだった。











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