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忘れたい痛み、残したい涙




「ねぇ高松ぅ。ボクのお父さんってどんな人だったの?」
 それはグンマがまだよちよち歩きのころから二人の間で何度も繰り返されたやりとり。
 今日何故その話が出てきたかというと、グンマのもって帰った宿題のテーマらしい。
「素晴らしい方でしたよ」
 タイプライターの音をカタカタとさせながら高松は答える。
 
「高松そればっかり」
 それしかいえないのぉ〜?
 と、こしゃまっくれたことを言うようになったグンマは、勉強していた机から離れ高松のデスクへやってくると、横から覗き込んだ。
 デスクの上には乱雑に重ねられたレポートと書置き、実験結果のグラフがあり、高松はそれの清書に忙しい。
 今日中に郵送しないといけない論文にかかりっきりだったため、ここ数日グンマのお勉強には付き合っていなかった。
 この論文の大切さを言い含めてきたのと、気を利かせてグンマを預かってくれたマジックの一家おかげでグンマは一日一度高松の顔を見に来るくらいで済んでいたのだが…きょうばかりはそんなわけにはいかないらしい。

 グンマの持ってきた宿題はすなわち…「ぼくのおとうさん」
 高松にとって不幸なことに、マジックは遠征中、ハーレムも出陣中、サービスは毎度のことで行く方知れず…。
 となれば、お鉢が回ってくるのは仕方がないのだが…。
 よりによってこの一番のシュラバの最後の日に…とちょっぴり高松は泣きたい気分になった。だが、泣き言を言ってる場合ではない。
 

「高松、ねえ。どうしてそんなコワイ顔してるの?」
「グンマ様が私に勉強させてくれないからです」
 普段のグンマに接するときの高松からは考えられないような、ちょっとイジワルな口調で返事が来た。

 高松が今大変なことをしているということがわかると、グンマは一旦黙った。
 忙しいときはジャマしてはいけません、と伯父に常日ごろから言われているからだった。
 だが、彼がじっとしていられたのはほんの10分足らずだった。

「高松はあんなに頭いいのにまだ勉強することがあるの?ボクみたいに宿題があるわけじゃないのに」
「まだまだね、私にも宿題が一杯あるんですよ」
 やるべきことは沢山ある。
 逝ってしまったあの方の残したことを少しでも形にして世に出したかった。
 だが、それらはあまりにも深すぎて目の前に立ちはだかる壁のように高すぎて…。

「どうしても分からないことがあって、それが終わるまでは私の宿題は終わらないんですよ」
「それが分かったら高松の宿題は終わるわけ?」
「…多分別のナゾがまた生まれると思います」
「それが終わったら?」
「また別の宿題がきます」
「次も?また次も??」
「そうですよ」
「どうしてそんなに分からないことで一杯にしちゃうの?」
「何故でしょうね。知れば知るほど知りたくなるし…そういうものかもしれません。科学者って人間は」
 最後の一枚のタイプを終えた高松は、紙を機械から外す。
 とにかくこれで終わりだ。これを綴じて郵送するだけ。
 
「お父さんが生きてたら、その高松の『ナゾ』もなくなっていたの?」
「かもしれませんね」
「そうなんだ。高松はスゴイけどお父さんはもっとすごいんだ」
 子供のいうことなのに、何故かそれがひどく心に重くのしかかる。
 どんなにあがいても届かない存在だ、と初めて彼のことを知った時に思った。
 そして数年後、その後姿さえも見えないうちに彼は戦場に赴き、そこで永遠に失われた。


 高松はタイプライターを脇によせ、グンマの前に差し出した。
「作文を書くのでしょう、グンマ様。ここで聞いてあげますから」
 グンマはいそいそともう一つの椅子をもってきて、クッションで底上げする。
 小さな手が紙をセットし、そしてきしむキーを押さえながらグンマはうちこみ始めた。
「ぼ・く・の・お・と・う・さ・ん」

 高松は、中断していた作業を再開し、目打ちで穴をあけながら、グンマのタイプライターの音に耳を傾けた。
 グンマはキーの配列はもうすでに覚えており、手つきも大分スムーズになっている。だが、高松の愛用している機械は彼の手には大きすぎて大変そうだった。
 それでも機械に触ってるのがおもしろいのか、楽しそうにグンマは打ち込んでいく。
「ぼくのおとうさん…は……ぼくが生まれる…………前……にぃ…せんそうで…しん……で」
 一つ一つ口で言いながら打ち込むグンマ。
「……こんなのでいいかな?」
「いいですよ。続けてください」
「………ぼく…はたかまつといっしょにすんでいます。たかまつはがんまだんのおいしゃさまで…」
 次からいきなり自分の名前の連呼になったのに高松は思わず目打ちで自分の指をつきそうになった。
「どうしたの?高松」
 いきなり出てきた自分の名前に驚いた、とはいえない高松はそのまま何事もなかったように作業を続ける。
「えーと……まあいいでしょう。続けてください」
 気を取り直して椅子に座りなおした高松の横でグンマはタイプライターに向う。
「あさおきるとごはんをつくってくれます。ぼくがぼたんがとめられなくてこまっていると…」たかまつはぼくががっこうからかえるとおやつをくれます…しゅくだいを…してく…」
 やはり気のせいではないらしい。
「グンマ様、グンマさまっ」
 このままではグンマの作文は全部『たかまつ』で埋められてしまう、と高松はグンマを止めにかかった。
「よるはごはんをたべておふろにいっしょに…………なあに?」
 高松の呼びかけにグンマは手をとめて、隣の保護者を見上げた。

「グンマ様、今日の宿題は『ぼくのお父さん』じゃなかったんですか?」
「だっていない人のことはかけないよ」
「だからって…そう私のことばかりかかれましても」
「ぼくは高松のこと大好き。だから高松のこと書くんだ」
 グンマは同意を求めるように高松の顔を覗きこんだが、高松はグンマが自分を見ているのに気づくとうつむいてしまい、顔を上げてこない。
「どうしたの、高松ぅ?」
 いつまでたっても返事のない高松に、グンマは不安そうな顔になった。
「たかまつ、おなかが痛いの〜?」
「い、いえっ」
 慌てて高松は顔を上げたが、すぐにグンマとは反対の方を向き、ハンカチで鼻をぬぐった。
「高松、また鼻血がでたんだ」
 もう保護者のこの癖に慣れっこなグンマは声を立てて笑う。
「勿体無うございます…グンマ様。高松はそんなお褒めを頂くような…」
「高松もおとーさんのこと好きだったんだよね。だから、高松のこと書く」

 高松を通してしかしらない父への憧憬がそのまま高松に移項されているだけだ、と思いたかった。だが、自分を見つめるグンマの目はあまりにも澄んでいて、まぶしくて。

「やっぱどっか痛いんじゃないのぉ〜たかまつぅ」
 グンマは高松のハンカチだけでなく目も赤いことに気づいたらしい。
「大丈夫ですよ、グンマ様」
「ボクが痛いの痛いのとんでいけーってしてあげるから、泣かないで。ね?ね?」
 グンマは自分の泣き虫も棚に上げて、必死に高松の頭の上を、『痛いの痛いのとんでいけー』といいながら何度も撫でた。


 痛いのはおなかでもないし、頭でもないんです、グンマ様。
 グンマ様には見えないところが痛くてたまらないんです…。

 だけどそれは言えない。

 何度も何度も繰り返していううちに疲れて口がもつれ始めたグンマは、疲れちゃった、とばかりに手をだらんと下げた。

「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」
「もう痛いところはない?」
 ええ、飛んでいきましたとも。
 そういって高松はグンマの頭を撫でた。
「人間はね。いたくなくても泣いてしまうもんなんですよ」
「じゃあ、どうして高松は泣いているの?」
「嬉しいからですよ」
「そうなんだ〜」
 高松がどこか悪いわけではないと分かったグンマの顔がほころんだ。
「ねえねえ高松、宿題が終わったらおやつがほしいよぉ」
「いいですよ」
 高松は、最近グンマを預けていたため、手元におやつとなるものが何もないことを思い出した。この論文を出すついでに買出しにいくならいっそのこと…と思いグンマに訊いてみる。
「せっかくだから外で食べましょう。ケーキがいいですか?パフェがいいですか?」
「ぜーんぶ」
 グンマは両腕を頭の上にあげると、脇にけてぐるりとおおきな丸を描いた。
「分かりました。だからグンマ様も早く宿題済ませましょうね」
「はーい」

 元気に返事をしたグンマはタイプライターに向って続きを打ち込み始め、高松はその横で論文を袋に入れる作業にかかった。









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