□□□
□□




百年の孤独




 耳元でした叫び声に驚き、寝床から飛び起きる。
 真夜中に起きることは珍しくもなくなったというのに…彼は何かに怯えたように周りを見回す。パプワとチャッピーは眠っていた。
 耳を凝らして闇を凝視するが誰もいない。
 誰も…。


 リキッドは自分たちの部屋を飛び出し甲板に走っていった。

 甲板に出た時、遠くに稲光が走った。
 そこに目をやると、満天の星空がそこだけ黒く切り取られているようで…その瞬きに代わって夜空を焦がすのは、闇夜を切り裂く閃光と、荒ぶるエネルギーだった。
 

 リキッドは己の両手を見た。
 両の手がガタガタと震え始め、彼は言葉にならない悲鳴を上げながら甲板に突っ伏した。
 
 船は星空が途切れている真下に突入し、大粒の冷たい雨が容赦なく叩きつけられ始めたが、リキッドはそこにうずくまったままだった。
 そして、激しい雨音が全ての気配を遮断し始めた頃…
「オレがっ…オレがぁーっ」
 狂ったように己の拳で甲板を殴り続けるリキッドの口から何度も自分を非難、罵倒する言葉がほとばしり始めた。
 
 急激によみがえる破壊と恐怖の記憶。
 その中で自分は破壊する側だった。

「オレは……」
 どんなに洗い流そうと手についた血も体に染み付いた硝煙のにおいは消えない。
 鼻腔に残る焼け焦げる肉の匂いも、腐臭も。
 耳に残る断末魔の叫びも。
 

 突如としてよみがえるそれらから逃れたくてここに立っていたのだ。


 



 何故、こんな時にコイツはここにいるんだろう。
 こんな大雨の中じっと見ている気配に…打ちひしがれた気持ちがさらに冷たく冷え凍っていくのを感じた。

「オレでも一人になりたい時もあるんだからよ…今日ばっかりは放っといてくれ」
 甲板にうつぶせたまま、顔も上げずにリキッドは相手に告げた。
 何の反応もない、気配もないアスにもう一度言う。
「頼むから素直にどっかいってくれ。オレは誰とも会いたくもねぇんだ」


 返ってきたのはいつもの彼の口調とは違う、意外な言葉だった。
「…泣きたい時は泣けばいい」
「そんな生易しい気持ちじゃねぇんだ」
 あまりにも意表をついたアスの言葉にリキッドは自嘲すらできなかった。
 この男にそんなことを言われるとは。
 この泣いても喚いても拭い去れないものは、この男には分かりはしないだろう。
 
「あなたはまだ幸せな方だ」
 何を言ってやがる…。
 今までのアスに対する苛立ちがピークに達したリキッドは、状態を起こし、その夜初めてアスを見た。
 リキッドがようやく自分の方を向いたので、アスは彼独自の優雅な身のこなしでゆっくりとリキッドの傍らに跪いた。
 
「同じような時の流れに取り残される者がもう一人いた。
 だが、彼は突然姿を消し…そして…今はあなたがいる。

 二人目の赤の番人よ…あなたの先任者が私に残した物は何か分かるか?」

 リキッドには答えようのない問いだった。だが、アスにとっては答えが返ってくるかはは関係なかったらしい。

「…自分の中にどこまでも広がり続ける深い穴が開いたような…『寂しい』という感情だ」



 寂しい。
 まさかこんな言葉がアスの口から出てくるとは思わなかった。
「気がつけば…それしか私の中には残っていなかった」

 よく見れば自分たちには半球形の光のようなものがかぶせられてしまっていて、それが激しい雨にぬれるのを防いでくれていた。
「皮肉なことに…この愚かしい感傷としかいいようのない感情が、私の中にジャンをはっきりと形作らせてくれる…。そしてそれだけが私の中に残っている」
 そう言ったアスの目に浮かんでいるものは、自分が初めて見るものであることにリキッドは気づいていた。
 本人はどこまで意識してるのか分からないが…。

 アスはリキッドから目を反らし、宙を見上げた。
「あなたに残っているそれらを無理に忘れ葬り去ることはない。
 今は辛いとしか思えなくても……なくてならないものとなるのだから」
 
 

 アスはいつものように闇に溶け込むように消えていった。
 それと同時に自分を覆っていた半球体も。

 光景がが元に戻ったとき、雨は綺麗に上がっていた。
 








「おい、いい加減目を覚ませ」
 聞き覚えのある声に驚いて飛び起きると、幾つもの視線が自分に注がれていた。
 何故こんなにナマモノがいるんだろう…とぼんやりと考えていると
「リキッドくーん」
 エグチとナカムラがしがみついてきた。
 取り囲んでいたナマモノから『よかったよかった』という声が聞こえる中、あたりを見渡して見たところ、自分が寝かされていたのは、彼がパプワとチャッピーと暮らしている部屋だった。
「あの…これは…」
「寝相が悪いのも大概にしろ、リキッド」
 これは一体どういうことだ、という問いは、パプワの一言にさえぎられた。
「はい?」
「ボクが見つけて連れて帰ったからいいものの」
「リキッド君ってば甲板の上で寝ていいたんだよー」
 エグチの一言で答えは分かった。
 つまり…自分はあのままあそこで寝入ってしまったってことか。
「そうそう。呼んでも起きないし。どこか悪いんじゃないかって心配したんだよー」
 そういって見上げるナカムラと、エグチを抱き寄せる。
 温かい小動物の温もりがじんわりと広がってきた。
 思えばこの二匹との出会いが自分のターニングポイントだったけ…。
 
「もう安心だね。リキッドくんも目を覚ましたことだし」
「ここはもうパプワ君にまかせて、私たちはお暇しましょ」
 ナマモノたちは口々に別れをいいながら部屋から出て行き、リキッドはパプワとチャッピーと三人で残された。

「あのーパプワ…その…どわっ」
 ここまで心配かけたからには…としどろもどろに説明を始めようとしたリキッドは…飛んできた硬いものに顔をしたたかに殴られ、そのままひっくりかえってしまった。
「い、いってぇなぁ!」
 という抗議に返されたのは
「育ちざかりのお子様を朝食抜きにさせる気か?」
 いつもと同じパプワとチャッピーの飯の催促だった。

 日々のメシと家事と食料の調達。
 これが目下の新しい赤の番人の使命。



 これもまたいい思い出になるってか?
 アスの言ったことを思い出し、世に二人しかいない番人の先輩がそういうんだからそうなんだろう、と思うことにしたが…。


「パプワ、今日は何が食べたい?」
「んー?まともに食べられるものならなんでもいいぞ、なー、チャッピー」
「わぉう!」
 またもや一番痛いところを突かれ、リキッドは前のめりになる。
 『新米のあなたにふさわしい番人修行ではありませんか』と皮肉を言いながら笑っているアスの顔が目に浮かぶようだった。
「…誠心誠意努力させていただきます」

 ちょっと遅めの、リキッドのいつもの朝が始まった。
 








□□
□□□